能楽師・武田宗典の舞台活動・観劇活動を中心にした日記的四方山話


by munenorin

カテゴリ:能楽日記( 102 )

今日は父の稽古日でした。

大学に入学したくらい、大人として能楽師の修行を始めたくらいから10数年、父の稽古場の傍らでお弟子さんの稽古を見ながらいろいろ勉強をしています。それは現在、自分がお弟子さんのお稽古をする際の一つの指針になっています。そしてお弟子さんの稽古の合間に、自分の稽古を父に見ていただいたり、舞台を拝借して自分一人で稽古をしたりします。自分にとっては思う存分舞台上を動き回れる、大変貴重な稽古の時間です。今日は舞台を拝借して、夏に稽古能などで行う舞囃子2番を自分で稽古していました。

さて家に帰ってからは、今日もPCにひたすら向かっていました。
今日は主に今度の5日(土)の謡サロンで使う、解説作りです。今回は初回体験版なので幾つかの曲をダイジェスト版で聴いて頂く形ですが、より皆様に理解を深めていただきたいので、オリジナルの曲目解説をお配りする予定です。
まだあと少し掛かりそうですが、何とか今晩のうちに仕上げたいと思います!

仕上がったらスコッチウィスキーが僕を待っています004.gif
[PR]
by munenorin | 2008-07-02 23:39 | 能楽日記
今日はせっかくのオフではあったのですが、家に引きこもりひたすらパソコンにに向かっていました。いろいろな作業をしていたのですが、主にはマイホームページ作成へ向けての準備をしていました。現在も作業中です014.gif

最初は簡易的なものでもといいかな思っていたのですが、PC関係の仕事をしている幼稚園からの友人の協力もあり、少し本格的なものを作ってみようと現在苦心中です013.gif他の能楽師の方が作られているホームページなども参考にしながらあれこれと考えているのですが、いわゆる自分自身の舞台活動の宣伝に関することだけでなく、皆さんに能をもっとよく知っていただくための何かを項目として加えていきたいと思っています。
まだどんなものになるかはわかりませんが、皆さんに楽しんでいただけて、役に立つページにしたいと思います。

何かご要望やアイデアがあったら皆さん教えて下さいね001.gif
[PR]
by munenorin | 2008-07-01 23:54 | 能楽日記

青木一郎能の会

今日は青木一郎能の会でした。

演目は「屋島 大事 奈須与市語」(シテ:青木一郎)と「羽衣」(シテ:青木健一)。

「屋島」はこの”大事”と”奈須与市語”の小書(特殊演出のこと:”奈須与市語”は間狂言の小書)がつくことで、源平合戦での源義経の武勇譚が最も写実的に表されます。もちろん観ていて一番面白い演出です。ただ動きの多い分、舞台上での間隔の取り方が難しく、またお囃子が特殊な手組を演奏するので、その兼ね合いも大変な作業になります。今日はそういった要素が比較的クリアになり、シテのなさりたいやり方で一曲を創り上げることが出来ていたように思います。

「羽衣」のシテはご子息の健一君。少し能を観劇されたことがある方なら、「羽衣」は最も目にする機会の多い曲の一つだと思います。しかし「羽衣」を”和合之舞”や”彩色之伝”などの小書のない、いわゆる普通の「羽衣」でご覧になられたことがある方はそんなにいらっしゃらないのではないかと思います。「羽衣」が小書なしで舞台に掛かるのは実は珍しいことなのです。
ですから普通の「羽衣」は、今日の場合のように「羽衣」のシテを若手が初めて勤める場合に出ることが殆どです。そして「羽衣」は小書があると、まず大体において詞章のどこかが省略されるのですが、小書なしだとすべての部分が上演されます。そしてこれが一曲すべてを勤めるとなると、意外と体力が要るのです。私も5年前にさせていただきましたが、かなり消耗した覚えがあります。
さて今日のシテの青木健一君ですが、年齢は私の4歳下。もちろん技術的にはまだまだ粗い部分もあるのですが、真面目で本番に強く、独特の”華”があります。
この”華”が我々にとって最も大事なのです。どんなに荒削りであっても、これがなければお客様を惹きつける事は出来ませんし、プロの舞台人として活動している意味がありません。彼にはこれからもメキメキと腕を上げていって欲しいと思います。

そして私自身は、彼のような勢いのある年下に絶対に追い越されないようにと、負けじと精進を重ねていかなければならないのです!!
[PR]
by munenorin | 2008-06-30 00:25 | 能楽日記

稽古能

今日は午後から稽古能でした。

稽古能とはなんでしょう?・・・普段我々は舞台に立つことを主にして活動していますが、それでも主役であるシテを勤められる機会はせいぜい年間に3~4番程度、地謡や後見を除いたツレや仕舞等のそれ以外の役でも10数番といったところです。それならばと自分たちの研鑽のために、本番の舞台とは関係なく、志を同じくする仲間たちが集まり、ともに稽古に励むスタイルのことを稽古能といいます。自分たちの勉強のためですから、今の年齢では到底本番の舞台で勤めないような曲にチャレンジすることもあります。そのような事情から、もちろんお客様には一切非公開で行われます。

今日私が勤めさせていただいたのは、『正尊』という曲の中の「起請文」という謡の部分です。お囃子方の皆さんと合わせて、独吟形式(正座して一人で謡うこと)で勤めさせていただきました。
『正尊』の「起請文」は、『安宅』の「勧進帳」、『木曽』の「願書」と並び、『三読物』と称される大変重い(難しい)謡の一節です。今日はその「勧進帳」と「願書」も共に同じ形式で行われました。

やはり、難しいものだ、というのが実感です。

今日三つの読み物を並列してみて改めて実感したことなのですが、それぞれの読み物には性格の違いがはっきりとあり、まずそれを表現できなければなりません。それに加え、長い謡なのでペース配分をしっかり出来ていないと、息切れしてただわんわんと叫ぶばかりのようになってしまうのです。
今日の自分がどれくらいのものになっていたか、これからじっくりテープを聴いて確認してみますが、まだまだ読み物の重さに呑み込まれていたのではないかと思います。
おそらく『正尊』を勤めることになるのはどんなに早くても10年は先、そう考えれば体験させていただくことが出来ただけでも有り難いことだと思っています。

能楽師としての修行の過程で、私自身が少しずつではありながらも力を蓄えることが出来たのは、実はこの”稽古能”のおかげではないかと思っています。多いときでは年間30数日、この稽古能に費やしていました。本番の舞台とそれに向けての稽古はもちろん大事ですが、普段からそれ以外の様々な曲に実際に稽古して接することで、曲への考察が深まり、また能楽師としての視野が広がります。
これからも稽古能では色々な曲にチャレンジして、時には自分の力の足りなさを思い知りながら、能楽師として徐々にステップアップしていきたいと思います。
[PR]
by munenorin | 2008-06-24 23:24 | 能楽日記

『能は能か、演劇か』

今日は『能楽現在形 劇場版@世田谷』ということで、野村萬斎氏が芸術監督を勤める世田谷パブリックシアターでの、ちょっと不思議な能楽の公演でした。
b0145146_0242834.jpg
この『能楽現在形』は、笛の一噌幸弘氏・狂言の野村萬斎氏・大鼓の亀井広忠氏が、現代舞台芸術における能楽の可能性を探る舞台を創り上げるために結成したユニットだそうです。
今日の演目は『融 十三段之舞』(シテ観世喜正氏)の半能と、『舎利』(シテ片山清司氏・ツレ関根祥人氏)でした。私はその両方に地謡として参加させていただきました。
普段の能舞台とは違う、全体が真っ黒に光った板の上での公演。照明・背景の画像・効果音などを駆使して繰り広げられる舞台。そして中央は二段式の八百屋舞台(奥に向かって傾斜がついている舞台のこと)になっています。これだけ普段と条件の異なる中で、果たして面装束を着けて無事舞い終えることが出来るのか、という不安がよぎります。

そして、本番は無事大成功でした!

実は私は10年ほど前の大学在学中から、能楽に新たな可能性を見出そうとするなら、それは流行の新作能や復曲能等の上演などではなく、こういった従来の能の作品の中で舞台装置や空間に工夫を施すことではないかと強く感じていました。そして今回初めてその公演に出演者として立ち会うことが出来たわけです。
演じているものは確かに能なのですが、舞台にもたらされるものはまた様相の違う”演劇”であるなと思いました。お客様がどう感じられたのかもとても気になるところですが、能の作品の持っているテーマを守りつつ、このような試みがなされるのはとても良いことだと私は思っています。
そして何より、今回ここに参加できたことはとても嬉しかったですし、勉強になりました。また、このように自由に空間を使う公演ができるお三方をとても羨ましく思いました。
そのためには能楽師としての実力はもちろんのこと、今後は興行力やある種のカリスマ性も身に着けていくことを視野に入れていかなければなりません。

自分の可能性を信じて、そして周りに居る方々を大事にしながら、一日一日を大切に生きていきたいと思います!
[PR]
by munenorin | 2008-06-21 00:29 | 能楽日記
今までは文章作成に時間が掛かるのでPCから投稿していましたが、今日は携帯からやってみます。果たしてうまく送れるのでしょうか?

今日は藤村女子高校という女子校の貸切公演で『土蜘蛛』の上演でした。シテは野村昌司氏。そのほかの役も頼光が坂井音晴氏、胡蝶が鵜澤光氏、トモが武田祥照氏、地頭(地謡というコーラスグループのリーダー)が北浪貴裕氏と、とことん若手主体での舞台です。

開演前はやはり年頃の女の子達の集団、楽屋にまで客席の話し声が聞こえてくるほどのはしゃぎっぷり。それが開演直前の先生の一喝で場内が水を打ったように静かになります。良い教育を受けているんだなと感心しました。

学生さん対象の貸切公演は、実際に舞台に乗せてみないとどういう反応が返ってくるかわからないという部分があります。 それは学生の年齢や学校の質(というより先生の質というべきでしょうか)などによってももちろん違うのですが、実は大切なのは最初にこちらが行う『お話』や『解説』のように思います。学生能では必ずといっていいほどこうしたお話を最初に行って、能初観劇の皆さんを楽しみ易いようにといざなっていくのですが、ここでうまく学生達を乗せてあげると意外と食いついてくるものなのです。
今日のお話は先日関寺小町を勤められた野村四郎師でした。シテの野村昌司氏のお父様です。長く東京芸大で教授をされていただけあり、何気ない話に聴く人を引き込む力があります。それは深い知識に裏打ちされた静かな自信と落ち着いた佇まいのせいなのでしょう。なんだかこの間の関寺小町と共通する何かを感じました。あまり話が得意でない自分も、出来れば早くこういった領域にいきたいものです。
今日はまさにそのおかげか、学生達が本当に集中して舞台に見入っていました。


もちろん自分は普段からお客様との出逢いを一期一会と思って舞台に立ってはいますが、特にこうした学生能の時は気合が入ります。やはり初めて能と出逢う学生達に"本物"を感じてもらいたいからです。たとえ意味がわからなかったとしても。そして何年か何十年か先、いつかお客様として帰ってきてくれたらこんなに嬉しいことはないのです。
今年の秋には私が企画して、母校暁星高校の生徒達を観世能楽堂に招きます。なんとか彼らの心にも何かを刻みつけてやりたいものです。今日の舞台で改めてそれを痛感しました。

やっぱり携帯で投稿するのは大変だ。指と目が疲れる‥
[PR]
by munenorin | 2008-06-20 00:17 | 能楽日記

研究会「誓願寺」

今日は松涛の観世能楽堂で研究会でした。

昨日お知らせしたとおり、今日は「誓願寺」の地謡です。結局1時間47分の舞台でした。

「誓願寺」はそうめったに舞台に掛からない曲で、主人公は和泉式部の霊ということにはなっていますが、”南無阿弥陀仏”を説くことをテーマにした仏教礼賛の曲であり、現在に生きる私たちにすべての意味を理解するのはなかなか至難の業といえます。
このように意味が宗教的であったり、詩的であったりと、なかなかストーリーを理解しにくい曲というのは能の中では数多くあります。

そのような時、どのように観たら楽しめるのか?

能楽観劇初心者から一歩ステップアップされたとき、このような疑問に直面されることは必ずあると思います。

ここでポイントになるのは『記号』です。

能には、まず能装束・能面などの表面的な姿形から、舞う舞の種類やお囃子の種類に至る内面的なものに至るまで、実はすべてはある意味で記号化されているのです。

例えば「誓願寺」の場合、能の中では『三番目物(鬘物)』というジャンルに分けられ、舞衣という特殊な装束を付け、太鼓が登場します。このような時、誓願寺という曲には”女性を主人公にした静かなストーリーで、主人公には気品とある程度の華やかさが必要である”という一定の答えが導き出されます。そしてこのことを知っていると、だんだんと役者の”意図”が感じられるようになり、ストーリーに関係なく、格段に深く楽しく御覧戴くことが出来るのです。
こういったことは本来は徐々に舞台をご覧になることで感じ取っていただくより他にないのですが、こういった部分をフォローしたいという思いから立ち上げたのが、実は
『謡サロン』なのです。

『謡サロン』では、まず初期の段階で、初番目物から五番目物までの全ジャンルの曲の最も重要なエッセンスを聞いていただき、実際に声を出していただきます。またお客様からの自由な質問形式を採っておりますので、疑問に思われる点にはそのつどお答えしています。「謡サロン」にいらしていただくことで、今まで以上に能を興味深く、楽しく御覧いただきたいと強く願っています。

能は知れば知るほど面白い芸能であるといわれます。だからこそ、アマチュアとして戦前から60年以上もお稽古を続けられている方が現在もいらっしゃるのだと思います。この伝統を絶やさないためにも、自分たちが今頑張っていかなければと思っています。

なんだか結局宣伝のようになってしまいましたが、もしよろしければ謡サロン、ぜひお越しください。また今度の7月5日(土)にお越しになれない方も、今後継続的に続けていく予定にしておりますので、ぜひ一度お越しください。

では明日は藤村女子高校の学生能『土蜘蛛』です。おやすみなさい。
[PR]
by munenorin | 2008-06-19 01:44 | 能楽日記

武田同門会

気がつけばもうこんな時間・・・

しかし今日はとても充実した時間・充実した舞台でした001.gif
本日ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。

昨日の日記で記したように脚のスタミナが心配だったのですが、今日は生まれて初めて両足がしびれるという事態が起こりました。
果たして立つことができるのか?とさすがに焦りました。ただ今日はなんだかとても集中して舞台に臨むことができたので、ギリギリのところで緊急事態を回避できたようです。
また「芦刈」のツレだけでなく、「春日龍神」の地謡も自分にとっては充実したものでした。

やっぱり舞台に立つことが自分は好きなんだな、と心から思います。小さい頃からあまりに身近なためになかなかそのことに気付かないのですが・・・

この勢いで明日の研究会の「誓願寺」の地謡(おそらく1時間50分!)もしっかり頑張りたいと思います017.gif

最後に我が愛しの章志《友志長男・2歳11ヶ月》の撮りたて写真をお送りします。
本当に可愛いです。
彼の顔を見ると疲れも吹っ飛びます。早く一緒に舞台に立ちたいものです。へへ003.gifb0145146_1203810.jpgb0145146_121267.jpg
[PR]
by munenorin | 2008-06-18 01:21 | 能楽日記

あぁ眠い・・・

今日の午前中は、明日17日火曜の武田同門会の申し合わせでした。

今回の自分の役どころは『芦刈』のツレです。このツレはシテの元妻役です。落ちぶれて芦売りをしている元旦那の元に、今は高貴な人の乳母となって財を成した元妻が現れることで展開する舞台。能には珍しい世話物的な夫婦人情劇で、大変分かりやすいストーリーの舞台です。
あとは二番目の『春日龍神』にも地謡として出演いたします。

武田同門会は、武田一門の能楽師が同人組織として活動している舞台で、出演人数も少ないので、このように2番掛け持ちで出演することは珍しくありません。体力的にはまったく問題ないのですが、とにかく

足が痛い・・・

私はこの間の日曜日にも『正門別会』で『木曽』の立衆として出演していますが、この立衆や芦刈のツレをはじめ、登場人物が舞台上で座っているとき、よく立て膝で座っています。これがただの立て膝ではないのです。私たちの流儀では右膝を正座のように折り、左膝を立てて座るのですが、この時右足の土踏まずの上に左足のかかとを乗せて、両足が開かないように座るのです。

出来ますか?

やってみるとお分かりになると思いますが、体が固かったり足が太かったりするとまずこの姿勢になることも難しいと思います。これを崩さずに30分、時には1時間以上も座るのはかなりの鍛錬が必要です。

明日は午前中に水曜日の研究会の申し合わせがあり、そこでも地謡があるので、脚のスタミナが何とも気がかりです008.gifとにかく今晩はしっかり脚を休めて、明日の舞台には万全の状態で立っていたいです。

また脚の問題だけでなく、芦刈の男の元妻としての情感や気品も大事にしていきたいと思います。大変ですが楽しみでもあります。
同世代の従兄弟たちがシテを勤める舞台、狂言も野村萬斎さんと大変観やすい番組立てです。もしお時間があったら、16時から渋谷区松涛の観世能楽堂まで足をお運びください。当日券もございます。

それにしても昨日の昼くらいから何かに取り憑かれたようにずーっとねむい・・・

お休みなさーい
[PR]
by munenorin | 2008-06-17 01:01 | 能楽日記

正門別会他

今日はこの間触れました『正門別会』当日でした。

会すべてを通して色々思うことはあったのですが、やはり思ったことは

『関寺小町』は難しい!ということでした。

俗に『三老女』と呼ばれる残りの曲、『姨捨』・『檜垣』と比しても難しいだろうと思われるのは、お囃子との駆け引きや謡い方などが大変に難解であるということの、いわば技術的な問題がまず一つです。私の小鼓の師匠である、今回の『関寺小町』の小鼓をされた大倉流宗家・大倉源次郎先生のお父様、先代の大倉長十郎先生が仰っていたという、「関寺は若いうちに決して出来る曲ではないが、若いうちに覚えておかないとややこしくて、年をとってからはとても覚えられる曲ではない」というお言葉が思い出されます。

それに加え、『関寺小町』が現在物であるということに尽きます。現在物というのは、お芝居の流れが現在進行形で進んでいる能のことで、その時代に生きていた人達がその生きていた時代をそのまま演じる、普通のお芝居のような舞台のことです。分かりやすい例で言えば、『安宅 勧進帳』などの曲目でしょうか?その対照に位置するのが夢幻能と呼ばれる、幽霊が主人公の能です。
三老女の他の2曲はいずれも夢幻能ですが、関寺だけが現在物です。つまり、関寺だけが本当のお婆さんに見えなくてはならないという制約を強く持っています。
すごく分かりやすく言えば、『姨捨』『檜垣』に関しては仮にそれを演じる役者が多少若くても、卓越した技術を持っていれば曲をクリアできる可能性がありますが、『関寺小町』だけはしっかり年齢を重ねなければ曲が成立しないということです。
その意味で、本日の四郎師の『関寺小町』はまさに機が熟した上での演能であり、普段の四郎師の延長線上に実った小町像であったといえるでしょう(老女物、老女物と言っていますが、小野小町は100歳の老婆という設定で登場しています)。

若輩者が偉そうなことを言いましたが、関寺だけは演者の年齢と芸力が一致しなければ到底成しえない、”秘曲”ということなんだろうと強く感じました。本当に良い勉強になりました。


なんだかとっても専門的で堅苦しい話になってしまったので、最後にまったく無関係のライトな話を一つ011.gif

今日の朝、初めて地下鉄副都心線に乗りました。下はその写真です。まだ出来たてなせいか、とっても運転が慎重でした。
私の住まいからの一番の最寄り駅である「東新宿」から、仕事場である「北参道(国立能楽堂傍)」「明治神宮前(観世宗家事務所傍)」「渋谷(観世能楽堂傍)」に一本で行けるという、自分にとってはめちゃめちゃらっきぃな電車です。今後は乗る機会が増えそうです。

b0145146_0565481.jpg
b0145146_0571324.jpg

では明日の朝は武田同門会の申し合わせ、そろそろ休みます。頑張ってきます!
[PR]
by munenorin | 2008-06-16 00:59 | 能楽日記