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能楽師・武田宗典の舞台活動・観劇活動を中心にした日記的四方山話


by munenorin

思わぬ大役

今日は国立能楽堂開場25周年記念公演でした。私達観世流からは「翁」付「絵馬」の上演でした。
「翁」付というのは、その昔能を必ず5番立てで上演していた頃の名残で、まず一日の最初に御神事である「翁」を上演し、その後、初番目物(脇能)→二番目物(修羅能)・・・と5番上演していくスタイルです。「翁」付の場合は、特にこの「翁」から脇能、次の狂言「末広がり」までを続けて上演します。最近は特別なときにしかこの上演方法は取りませんが、観世会定期能では毎年1月の初会はこの翁付のスタイルで上演しています(全体では3番立て)。

今日はその公演に楽屋働として伺っていました。楽屋働(はたらき)というのは舞台には出演せず、楽屋でもろもろの雑事を担当する係です。この1、2年くらいで楽屋働のみの出勤というのはだいぶ減ってきましたが、若いうちはこの楽屋働をたくさん経験することで、舞台の流れや装束の着付け方、大道具(作り物)の作り方などを学んでいくのです。

そして、その楽屋働の仕事の一つに「幕上げ」という仕事があります。幕というのは橋掛かりの奥にある五色の幕のことで、登場人物の入退場口となっています。この幕は長い竹の棒を使って、正座した状態で2人で上に上げて開けるので、正式には「揚幕」といいます。
さて、今日はその幕上げを主に担当していました。普通の演目ならばそこまで大変な仕事というわけではないのですが、『翁』の幕というのは特別なのです。
まず、『翁』は全体が静寂に包まれた中、翁(シテの役名も『翁』)の一声でゆっくりと幕を上げていきます。これには独特の緊張感があります。そしてこの翁のゆったりした歩みに続いて登場人物が全てこの揚幕から登場していきます。普通の演目では地謡・後見などは切戸口という舞台後方の小さな出入り口から登場しますが、この『翁』だけは特別なのです。やがて舞台中央前方で翁が儀式をし、続いて座に着いて面箱(これも役名)が面箱を翁の前において作業をする、という流れなのですが、実はこの間幕は上げっぱなしなのです。なぜなら翁が儀式をしている間、登場人物たちのほとんどは橋掛かり上に留まっているのですが、皆が幕から登場するため、とても全員が舞台上へ出切らないためなのです。

その間おそらく10分弱といったところだと思いますが、幕は意外に重みがあるため、これが実はなかなか大変な作業なのです。特に国立能楽堂の幕は重く、竹が太くて持ちにくいのです。また橋掛かりが長い分、最初に翁が本舞台まで登場するのにも通常より時間が掛かります。いわば日本で一番過酷な条件での翁の幕上げだったわけです。しかも私は初めての「主」の担当でした。「主(おも)」というのは舞台後方寄り、ちょうど客席から見えるほうの幕上げの人物のことで、何か不具合があると客席からも見えてしまいます。
私の見た目をご存知の方はよく分かると思いますが、私は決して力強いタイプではありません。それでも今日何とか無事にこなすことが出来たのは、「腰で持ち上げる」というコツを掴んでいたこととあと一点、『気合』の一言に尽きます。
自分の気持ちが弱くなると、どうしても持っているのがつらくなりますし、手も汗ばんできて滑りやすくなったり、楽な方楽な方へとどんどん持っている姿勢が悪くなってしまいます。しかし、辛さを風と受け流し、何事もないかのような涼しい顔で持っていると、不思議とあまり長さを感じなくなるのです。一種の自己暗示かもしれません。

能の舞台で何が大切ですか、とよく聞かれることがあります。一つに絞ることは大変難しいのですが、その中の一つに必ず入るのがこの『気合』だ、と個人的には思っています。気持ちが強くなければ決して舞台には立てないのです。もちろん自信過剰も禁物ですが・・・

こうして今日のように楽屋働をしていても、やはり日々収穫があります。今後も常に緊張感を持って日々の仕事に臨んでいきたいものです。
by munenorin | 2008-09-03 23:10 | 能楽日記