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能楽師・武田宗典の舞台活動・観劇活動を中心にした日記的四方山話


by munenorin

正門別会他

今日はこの間触れました『正門別会』当日でした。

会すべてを通して色々思うことはあったのですが、やはり思ったことは

『関寺小町』は難しい!ということでした。

俗に『三老女』と呼ばれる残りの曲、『姨捨』・『檜垣』と比しても難しいだろうと思われるのは、お囃子との駆け引きや謡い方などが大変に難解であるということの、いわば技術的な問題がまず一つです。私の小鼓の師匠である、今回の『関寺小町』の小鼓をされた大倉流宗家・大倉源次郎先生のお父様、先代の大倉長十郎先生が仰っていたという、「関寺は若いうちに決して出来る曲ではないが、若いうちに覚えておかないとややこしくて、年をとってからはとても覚えられる曲ではない」というお言葉が思い出されます。

それに加え、『関寺小町』が現在物であるということに尽きます。現在物というのは、お芝居の流れが現在進行形で進んでいる能のことで、その時代に生きていた人達がその生きていた時代をそのまま演じる、普通のお芝居のような舞台のことです。分かりやすい例で言えば、『安宅 勧進帳』などの曲目でしょうか?その対照に位置するのが夢幻能と呼ばれる、幽霊が主人公の能です。
三老女の他の2曲はいずれも夢幻能ですが、関寺だけが現在物です。つまり、関寺だけが本当のお婆さんに見えなくてはならないという制約を強く持っています。
すごく分かりやすく言えば、『姨捨』『檜垣』に関しては仮にそれを演じる役者が多少若くても、卓越した技術を持っていれば曲をクリアできる可能性がありますが、『関寺小町』だけはしっかり年齢を重ねなければ曲が成立しないということです。
その意味で、本日の四郎師の『関寺小町』はまさに機が熟した上での演能であり、普段の四郎師の延長線上に実った小町像であったといえるでしょう(老女物、老女物と言っていますが、小野小町は100歳の老婆という設定で登場しています)。

若輩者が偉そうなことを言いましたが、関寺だけは演者の年齢と芸力が一致しなければ到底成しえない、”秘曲”ということなんだろうと強く感じました。本当に良い勉強になりました。


なんだかとっても専門的で堅苦しい話になってしまったので、最後にまったく無関係のライトな話を一つ011.gif

今日の朝、初めて地下鉄副都心線に乗りました。下はその写真です。まだ出来たてなせいか、とっても運転が慎重でした。
私の住まいからの一番の最寄り駅である「東新宿」から、仕事場である「北参道(国立能楽堂傍)」「明治神宮前(観世宗家事務所傍)」「渋谷(観世能楽堂傍)」に一本で行けるという、自分にとってはめちゃめちゃらっきぃな電車です。今後は乗る機会が増えそうです。

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では明日の朝は武田同門会の申し合わせ、そろそろ休みます。頑張ってきます!
by munenorin | 2008-06-16 00:59 | 能楽日記