能楽師・武田宗典の舞台活動・観劇活動を中心にした日記的四方山話


by munenorin

生涯忘れることない6月

ひと月近く間があいてしまいました。

本当は観世会定期能が終わった辺りで、先月の総括をしようかと思ったのですが、色々な理由からなかなか更新することが出来ませんでした。でもそろそろ復活しようと思います。

先月は自分でもびっくりするくらいの、人生初のハード月間でした。シテ2番とツレ1番と舞囃子1番が一週間の間にあり、さらにリニューアルした第1回の東京謡サロンに、行橋の特別公演サロン、7月4日には観世会定期能で初の大役「善知鳥」のツレを頂きました。一日も休みはありませんでしたが、それでもそれらを何とか乗り切ったことは、自分にとって大変自信になりましたし、とても充実した時間でした。大分で能楽協会の公演があったり、月の半ばには京都で初めて仕事をさせていただく機会があり、小鼓の曽和先生の会で柊屋旅館にお邪魔して、独調・一調を15番も謡わせていただきました(!)。本当に楽しく、充実した思いだけで終わるはずの月でした。

ところがその月の最後に、信じられない悲しい報せが入りました。もう多くの方がご存知だと思いますが、私達観世会の中堅である関根祥人さんが、先月22日夜、突然の病で亡くなられました。まだ50歳の若さです。

祥人さんは芸事面・人間性の両面において、最も尊敬できる先輩の一人でした。常に何事にも全力で臨まれ、その真摯な姿勢は若手全員の手本であったといっても過言ではありません。また若手が束になっても叶わないほど、体力面の強さが際立っており、数年前には独演五番能も勤められました。そんな、「病」「死」ということから最も縁遠く感じられた祥人さんが、倒れられてわずか数時間の間で亡くなってしまうとは本当に今でも信じられません。そして突然亡くなられたことはもちろんショックなのですが、そればかりでなく、これからの観世流・能楽界を背負って立っていかれるはずの方であったことを思うと、本当に無念であり、暗澹たる気持ちになってしまいます。もっと祥人さんの舞台を拝見したかった、色々なご指導を仰ぎたかったと心から思います。これからは「祥人さんならこうされるはず」「祥人さんならこう考えられるはず」という思いを常に持って、文字通り祥人さんの魂を受け継いで行動をしていかなければなりません。それが自分のような人間に果たして出来ることなのかわかりませんが、ただ悲しみに打ちひしがれているだけではなく、しっかり前を向いて、一日一日を大切に生きていかなければと強く思います。

祥人さんはお家元と同級生でいらっしゃいました。小さい頃からご一緒に人生を歩まれてこられたのです。そしてそんなお家元が葬儀委員長をつとめられ、その最後のご挨拶で『私はあなたのような人を同級生に持ったことを誇りに思います!』と涙ながらに仰られました。お家元のお嘆きが、私達では到底計り知れないほど深いものなのだということに改めて気付き、私も堪らず号泣してしまいました。

また残されたお父様の祥六さんをはじめ、ご子息の祥丸さん、お母上や奥様や娘さん、ご家族の皆様の悲しみの深さは如何ばかりかと思います。急に身内を喪った時、最初は気を張っていられるのですが、月日が経つごとに深くなる悲しみや体力の消耗もあります。どうか皆様がこの悲しみを乗り切って下さるよう、心から願うばかりです。

亡くなられて少し日が経ち、かえって色々な思いが交錯するようになりました。しかしただ一つ言えることは、人はとにもかくにも一日一日を悔いなく生きていくことしかない、ということです。『朝長』という作品の中で、「朝に紅顔あって世路に誇るといへども 夕べには白骨となって郊原に朽ちぬ」という謡があります。まさに祥人さんはそのような亡くなられ方をしたのです。その日もお弟子さんと祥丸君のお稽古を終えられてから倒れられたとのことでした。一日一日を充実させ、最後まで悔いのない生き方をされてこられたのだと思います。このような亡くなられ方をされたのは返す返すも無念でなりませんが、しかしその生き方そのものは、私達に強烈な印象となって心の奥に焼き付きました。それは一生消えることはないと思います。

祥人さんのご冥福を心からお祈り申し上げて・・・合掌
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by munenorin | 2010-07-15 01:25 | 能楽日記