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能楽師・武田宗典の舞台活動・観劇活動を中心にした日記的四方山話


by munenorin

西安男二人旅 その2

随分時間が空いてしまいましたが、西安2日目の旅の模様をいよいよお伝えしたいと思います。先日デジカメの写真をうまくブログにアップする術を身につけたので、今回は結構良い写真を載せています。今までは携帯からの写真のみだったので、どうしても画像に乱れがありました。

さて先日お知らせした通り、2日目は西安近郊に 車で出掛ける予定でした。8:30に全日空ホテルのロビーに集合ということだったので、7:45に西安城市酒店を出発して、前夜に散歩していて見つけた、ホテル裏手にある小吃店街で朝ご飯を食べることにしました。

西安男二人旅 その2_b0145146_23294795.jpg入ったお店がこちらで、注文したのがこちら。見た目通りのいわゆる豚まんですが、つけダレがスパイシーで美味しく、豚まんそのものも出来立てホヤホヤで本当に身体が温まりました。
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この小吃店街は複数の団地やビルの谷間にあって、しかも各入り口には大きな門まであり、普通に歩いていたらちょっと見つけられないような不思議な空間でした。でもこの朝ご飯の時間は、ある意味で西安人の生活に一番密着した時間だったように思います。

西安男二人旅 その2_b0145146_2330819.jpgそして朝食後は待ち合わせの全日空ホテルのロビーへ。用意してくれた車は今話題の(?)GM社の高級車。少々値は張りましたが、その甲斐あってさすがの快適空間でした。運転手さんも丸顔でニコニコした、如何にも人の良い感じの方でした。

さて、自分たちでセレクトして向かう先は、西安東郊外にある兵馬俑と始皇帝陵、そして玄宗皇帝と楊貴妃の別荘だった華清池の三カ所です。

西安男二人旅 その2_b0145146_23303912.jpg最初に向かった先は兵馬俑ですが、その道中に映した写真がこの朝日に照らされた煙突。照り映えてあまりに綺麗だったので写したのですが、この煙突は或いは西安の少し煙った空気と関係があるのかもしれませんね。

さて兵馬桶の駐車場に到着して車を降りた途端、日本語で話しかけてくる女性がいました。聞けば兵馬俑のガイドをしてくれるとのこと。当初はガイドさんを頼む予定ではなかったのですが、ガイド料が120元(約1800円)と比較的安価だったこともあり、この方(宋さん)にお願いすることにしました。このガイドさんの解説がとてもわかりやすかったので、結局宋さんには、後で始皇帝陵と華清池にもご同行をお願いすることになります。

西安男二人旅 その2_b0145146_23324156.jpg兵馬俑の天気は写真のとおり、眩しいくらいの快晴!雲一つありません。


















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兵馬俑とは秦の始皇帝の陵墓の近くに埋められていた実物大の兵隊や戦車のことで、それらは全て陶器で作られたものです。1987年に世界遺産に登録されているので、ご存知の方も多いと思いますが・・・。ずっと地中に埋まっていたものを、1974年に近所の農民である楊さんが井戸を掘ろうとしたときに発見し、今尚発掘が続いている古代の遺跡です。割と最近になって見つかったものなので、現在でも調査中・発掘中のところが数多くあって、まだ多くの部分が謎に包まれています。西安男二人旅 その2_b0145146_23343076.jpgちなみにこの楊さんという人はまだご存命で、この発掘によって人生が変わり、今は観光客向けにサインを書くことが仕事となっています。写真を撮ることは禁止だったので画像はありませんが、キセルを粋に吹かしていて、一昔前の中国の好々爺といった感じの風貌でした。何でも農民をやっていた頃は字が書けなかったそうで、発掘後にサインの練習をして書けるようになったそうです。

西安男二人旅 その2_b0145146_2336128.jpgさて、兵馬俑は一号坑から三号坑まであり、他に発掘物の中で特に目を引くものを集めた、始皇陵文物陳列庁という建物があります。ここに出ているものは主に一号坑と陳列庁で撮影した写真です。一番上の偉そうな風貌の人物は、6000体ともいわれる人形の中で数体しかないといわれる将軍の人形。お腹が出ているのが裕福であることの証だそうです。


西安男二人旅 その2_b0145146_23364341.jpg一号坑は兵馬俑の中で最大規模を誇り、御覧のように無数の兵隊が立ち並んでいて、それは壮観な光景です。ただ長い年月の間に様々に荒らされたりもしたので、例えば顔がなかったり、身体の一部分が欠けたりしている物が
ほとんどです。中でも象徴的なのは、本来は武器を持っているはずの人形に一つの武器も残っていないこと。これはその昔「項羽と劉邦」の時代、項羽の軍隊がこの近くに陣取っていたときに兵馬俑を見つけ、人形が持っていた武器を根こそぎ奪ってしまったからなのだそうです。
by munenorin | 2009-01-22 00:30 | オフ、ふっ、ふ。