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能楽師・武田宗典の舞台活動・観劇活動を中心にした日記的四方山話


by munenorin

西安男二人旅 その3

「その2」があまりに長すぎて写真も多かったので、特に携帯などからはうまく見ることが出来ないとのご指摘をいただきました。そこで「その2」を3分割にしました。内容は全て同じです。

続きは兵馬俑の最後のところからです。

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さて、以上の文章は宋さんのガイドの受け売りのごく一部分ですが(笑)、このように宋さんの説明がとても上手だったことや、兵馬俑の中が体育館のような構造で寒かったために帰りがけにお茶屋さんに入ったりもしたので、結局ここには3時間以上滞在していました(通常では2時間前後だそうです)。普通の観光ツアーだとこういった時間の自由が利かないのですが、そこは個人旅行の利点で、気ままにのんびりと観光することが出来ました(写真真ん中が宋さん)。

西安男二人旅 その3_b0145146_23382996.jpg次に向かった先は始皇帝陵墓。兵馬俑から1.5kmほどの距離です。ここは写真のように小高い丘が存在するだけ。あまり華美な装飾はありません。ただこの山が様々なところから集めた土で作られた完全なる人工の山であること、お墓の中には水道管のようなものが作られていたことなど、莫大な時間と富をかけて作られたものであることは間違いありません。ちなみに学生時代エジプトに一人旅をしたベンマスさんによれば、この陵墓の規模はピラミッドのはるか上を行く大きさなのだそうです。


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その後、昼ごはんはガイドさんおススメの近所のレストランへ。写真はベンマスさんセレクトのおなじみピータン。ここでは羊と葱の炒め物が美味しかったです。




西安男二人旅 その3_b0145146_2340869.jpgそして最後に向かった先は華清池。ここに着く頃には既に15時を廻っていました。最初に兵馬俑に着いたのが9時半前だったことを思うと、あっという間の時間の経過でした。
ここは私のリクエストで連れて行ってもらったところです。やはり玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの地、と聞けば、能『楊貴妃』を思わずにはいられません。また『楊貴妃』は特に自分自身大好きな作品であるので、これは行かない手はないと思っていました。


















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この華清池は先ほど玄宗皇帝の別荘であると書きましたが、実際には今から3000年前、紀元前1000年頃の周の時代に造営されたものであるといわれ、大変歴史のある保養地です。その理由はこの地に温泉が湧くからで、今もここには滔々と温かいお湯が湧いています。



西安男二人旅 その3_b0145146_23414416.jpg写真に写っている人物像は楊貴妃の像ですが、御覧いただいても少しわかる通り、この敷地内の建物は多くが1900年代に改装されたもので、そこまで風情を感じられる作りというわけではありません。しかしそんな建物に囲まれるようにして、古代の温泉の遺跡(写真は楊貴妃専用の浴槽)が残されています。

西安男二人旅 その3_b0145146_23423634.jpgここで一番びっくりしたのは、ここは歴代の中国の皇帝が滞在していた地というばかりでなく、第二次世界大戦後に、共産党の毛沢東と争っていた国民党の蒋介石が逃げ込んだところでもあるそうで、建物の中には蒋介石を狙ったと思われる生々しい銃弾のあとが残っています(写真参照)。
そんな中、ここで一番メインになったのはやはり温泉!ここは観光施設なのですが、その中で温泉に入れるというのはなかなか体験できないことです。

西安男二人旅 その3_b0145146_2343834.jpgお湯は入湯料30元のものから、個室・ベッドつきのちょっと妖しい500元(約7500円!)のものまでピンからキリなのですが、お湯から出たあとに湯冷めする恐れもあったので、私達は結局一人20元の手軽な足湯を体験してみることにしました。これがその写真です。常にほぼ零下の気温の地では、足先がまず真っ先に冷えます。そして足が冷えると体中が固まるような感覚になるのですが、この足湯で(手もお湯に突っ込みましたが)文字通り、身体全部が解凍される感じでした。15分ほどの入湯で体がすっかりリセットされ、この温かい心地は西安市内に戻ってからもしばらくの間は続いていました。

こうしてこの3箇所の観光を終え、ガイドさんと別れたのが16時半過ぎ。別れ際にガイドさんが言っていた、「ここで出逢ったのも神様が導いたご縁があったからです。有難うございました」という言葉が今も耳に残っています。このガイドさんは36歳・年女。聞けば兵馬俑の近所の機械工場で工員として働いていたのを、30歳のときに一念発起して日本語を学び始め、こうして観光客向けのガイドをするようになったそうです。とても日本語歴6年とは思えないほどのわかりやすい丁寧な日本語でしたし、折に触れて「この言葉はどういう意味ですか?」と熱心に質問していました。月並みな物言いですが、人間努力すれば必ず花開くのだな、という実感を強く持ちました。
by munenorin | 2009-01-24 02:34 | オフ、ふっ、ふ。